野球と私
ライン


リストマーク チョキで逆転大勝利

1967年上京した私は、草野球という形で再び野球を楽しむことになる。その草野球での思い出をひとつ。

1979年、第4回東京都商店街対抗選抜野球大会に、わがグリーンパイレーツは中野区代表として出場した。1、2回戦を順調に突破して準々決勝にコマを進める。この試合には特別の意味があった。というのも、もしこの試合に勝てば“ベスト4”となり、草野球では夢の後楽園球場で野球ができる(決勝と3位決定戦が後楽園球場で行われる)のだ。確かに金さえ出せば球場は借りられるものだが、大会で使うとなると気分も違う。

その準々決勝、試合は投手戦となり、1対1で7回を終了してしまった。大会規定で延長戦はなし。さて、ここから世にも珍しい、野球の試合の決着をじゃんけんで決めるというじゃんけん大会が始まることになってしまった。方法は、投手から右翼手まで、9人の守備位置別で相手チームの選手とじゃんけんをするというもの。5人先勝で後楽園行きだ! 

投手勝ち、捕手負け、1塁負け、2塁(私)負け、3塁負けとここまでで1勝4敗、負けを覚悟した。ところが、ショート勝ち、レフト勝ち、センターも勝った。4対4となって、最後のひとり、ライトの対決で決着することになった。勢いはこちらにある。

神様、仏様、イエス様!(私はキリスト教校卒業) じゃんけんポン、チョキ対パーでわがチームのライト・ジャンゴさんが勝ち、大逆転勝利だ。やったー、後楽園だ! と、大ヒーローのライトをみんなで叩くわ蹴るわの大騒ぎ、まるでプロ野球のサヨナラホームランの打者を迎えるそのままの光景だ。

その輪の中でひとり冷静なヒーローのジャンゴさんは、勝って当然と言わんばかりの顔をしている。理由を聞いて驚いた。1対4からの大逆転の流れは、ショート、レフト、センターとも勝ち手がすべてチョキだったので「迷わずチョキを出した」というのだ。この冷静な男は、54歳の今も息子ぐらいの歳の若者たちの中で現役として活躍している。

準決勝戦では敗れたものの、わがチームは11月28日、快晴の後楽園で3位決定戦を7−0で快勝。おまけにエースの昇さんがノーヒットノーランを達成、準決勝からの2試合で争う個人記録で私は5打数3安打で首位打者を獲った。

後楽園でプレー中思わずつぶやいた。「ここがオレには甲子園、草野球バンザイッ」。

その後しばらくプレーを続けたが、37、8歳のころ、負けても三振しても悔しくなくなった。これを機に現役生活にピリオドを打ったのだった。

獲得した「打撃賞」のトロフィーと、貴重な「後楽園の土」。


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