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リストマーク 『斉藤さん逝く』  2004.01.27

1月26日 1994年、1通のDMから始まった茨城の斉藤さん1家とのお付き合い。

 ‘はくつる号は故郷へ'の資料を、演歌の雑誌に出ていたカラオケサークルに事務所が適当に送ったところ、茨城の日立市で女性だけのサークルの代表をされていた奥様から、心暖まる激励のお手紙が届いた(後にも先にもリアクションがあったのはこのお手紙のみ)。それ以来、お手紙だけのお付き合いが3年。初めてお会いしたのは、お嬢様の結婚披露宴の司会を務めた時。この年から、11月に干し柿用の柿を頂戴しに行くのが恒例となる。柿を取り、ゴルフをし、温泉に行く。私の秋の楽しみになった。

 昨年の夏、ご主人の具合が悪くなり入院したとの報も20日ほどで退院され、食欲も元に戻りつつあるとかでひと安心、11月には2番目のお孫さんも誕生、12月にはご子息の家も完成し、賑やかなお正月(元日は63才の誕生日)を迎えられたことを想像していたのだが、草津に行っていた、13日に容態が急変し入院、先生が「長くない」とおっしゃったとか。そして21日の20時還らぬ人となった。24日お通夜にお邪魔して最後の別れ。

 斉藤さんの口癖が「俺は人に恵まれた」。お料理上手の奥様と1男1女、お孫さんが男1女1。幸せを絵に描いたようなご1家は勿論だが、交友録を聞くとうなずける事業の成功。そして頭が下がったのが社交性、寅さんを思わせるような明るさと雰囲気作り、私にこの社交性があったらもっと売れていただろうな、といつも思わずにはいられなかった。まだまだ教えて欲しいことがいっぱいあったのに。このご時世に、仕事を断っている、というほどお仕事も順調だっただけに残念でならない。 

 あまりにも早すぎた物故に、合掌。





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