花粉症克服体験記


 世間で、花粉症の‘か’の 字もなかった’79 年、審判を始めた年です。
夢の島球場へ行くバスに乗り換えの、東陽町駅の地上に上がった時気づいたのです(現在、夢の島は新木場駅を利用)。熱はなく、咳もなし、身体のだるさもなし、全く異常なしの体調ですが、突然の鼻水鼻づまり、目のかゆみ。これが私の花粉症デビューです。
 この症状と毎年付き合うことになるのですが、GW前には跡形もなく消え去るので真剣に考えることもなく我慢しました。
 数年後、近所の耳鼻科を訪ねたのですが、この時もまだ花粉症という病名はありません。
鼻の洗浄をし、飲み薬をもらって帰ったのですが、はっきり言って、箸にも棒にもかからず。3医院廻りましたがどこも同じです。
 月日が流れること16年、’95年3月、TBSテレビ・そこが知りたい、通勤途中下車の旅のエンディングテーマ「あゝ東京カントリーナイト」を最悪の状態の中でレコーディング。次の日、審判仲間の平林 岳君(当時パ・リーグ審判在籍、現在メジャーをめざしている)から「いい病院を紹介しますよ」と紹介されたのが、私を地獄から救ってくれることになる医院、先生です。
 そして3月28日医院に伺いました。午後2時ごろ受付したのですが診察は午後11時でした。症状を説明するとプリック・テストです。左腕に6つの菌を植え付け、5日後に結果を見ると、百パーセント杉花粉に反応しています。
 3月の末はシーズン真っ最中。先生がおっしゃいました「この薬を処方しますが、今シーズンはあきらめて下さい。来年から、花粉飛散開始の1週間から10日前から飲み始めて下さい」
 ’96年1月23日(ワン・ツー・スリー、語呂がよい)から飲み始めたのですが、
先生のおっしゃった通り、シーズンに入っても症状が全く出ません。正に“地獄から天国”
の日々です。「先生は神様です」。以後、1月23日は私の花粉症の元日です。
 その薬は、朝夕2回食後に飲むのですが、一番弱い薬だそうです。.酒を飲まない身体ですからそれで充分だったのでしょう。4月中旬ぐらいまで飲み続ける手間はありますが地獄からの脱出ですから何のことはありません。薬と言えば副作用を心配される方がいらっしゃいますが、心配がないことは、62歳頭髪以外異常無しの私が生き証人です。

  花粉症で苦しむ人は、症状が出てから薬を飲み、病院へ駆け込む。これでは遅いのでは。少なくとも、プリック・テストをやるぐらいの医院でないと。
 鼻をシュッシュッ、適しているのかどうかも分からない薬をもらう。これの繰り返しでは、医院のいいカモ?。

 くれぐれもご自愛下さい。おだいじに。




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