野球と私
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リストマーク 『パリーグ開幕』 3月29日

3月27日 プロ野球パリーグがいよいよ開幕する。誰が言い出したのか、1〜3位でプレ ーオフを行うという。30や40試合なら納得するが、なんで135試合も戦って1位のチームが優勝ではないのか。叶うなら、3位のチームに優勝してもらいたい。そして今年だけで終えることを願わずにはいられない。これなら、以前やっていた前後期制のほうがまだましだ。

 この華々しい舞台の裏で、1人の選手の名前が選手名鑑から消えた。ダイエーの大越 基選手。1989年第71回、全国高校野球選手権大会、仙台育英は決勝でエース吉岡(現・近鉄)を擁する帝京と対戦、延長10回力投空しく0対2で涙をのんだ。この大会、6試合56回を1人で投げ抜いた活躍に胸を打たれた。

 早稲田大学→中途退学→マイナーリーグ→'92年ドラフト1位でダイエー入団。ダイエーでは主に守備要員として活躍。いつから流行だしたのか、ストッキングを隠したユニフォームの着こなしに反し、ストッキングを全部出すオールドスタイルにこだわり続けた好漢だった。

 情報によると、早稲田大学に再入学。教師になり高校野球の監督を目指すらしい。是非、甲子園で勇姿を。

 『名将、上甲再び』 

3月26日
 センバツ4日目、第1試合に登場した、愛媛・済美高校を率いる監督が、1988年60回大会で宇和島東を優勝に導いた名将、上甲正典監督(55才、私と同い年)。

 済美高校は女子校が共学になって2年、創部2年目にして甲子園に登場、高校野球は監督次第(スカウト・手腕)を絵に描いたようなもの。宇和島東を辞めた時、「早すぎる」と思っていたが、こんな裏があったとは。

 次は、7日目の第3試合で東邦と対戦。



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