審判
ライン

リストマーク 審判という仕事

1979(昭和54)年、時は草野球ブーム。都内・近郊の野球場を借りるには抽選があり、人気の野球場を確保するには徹夜も必要で、中には権利を売って小遣いを稼いでいた者もいたとか。
この年、ある審判のグループに入会。観衆4万人の神宮球場での名球会V.S.たけし軍団の球審から、河川敷のラインもない、ベースもないグランドまで、21年間走り回った。

審判の仕事とは、「上手くいって当たり前。ひとつのミスで下手の烙印」。本当にミスなら甘んじて批判も受けるが、ただ単に気に入らない判定だっただけで「今日は審判で負けた」などと敗因を審判のせいにする。よくあるケースだが、確かに1球で流れが変わることも、試合が決まることもある事はある。
特にプロ野球の場合はその1球に生活がかかっていると思うと、後ろばかり振り返る私のような性格ではとても務まらない仕事だ。


ここでは、時々起こる審判騒動について考えてみます(ただし、ミスジャッジについては同じ立場の人間として心が痛むし、キリがないので触れません)。世間では話題にもならない、誰も知らない、これだけは許せない! そんな出来事にこだわりを持ち、審判の仕事、裏側を伝え、規則の勉強のお役に立てれば幸いです。



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