diary
帰省報告 2003.1.9 | ||
お飾り 例年なら正月の準備が整った頃帰省していましたが、昨年は少し早めの29日に帰省。実家では兄がお飾り制作の真っ最中。出来上がったものを当たり前のように見ていたお飾り、54才にして初めてのお飾り作りを体験。写真左の、ヒゲだらけの状態のところからが私の仕事。 |
||
先ずはハサミで出っ張りをカット。あとは、松、榊、稲穂、ホンダワラ、ウラジロ、橙、を組み合わせて出来上がり。 |
||
玄関をはじめとした家屋用の大きめのもの(タテ60センチ、横40センチ)を8個。 自動車、バイク、自転車用の小さめ(30×20)のものを10個。手先の器用な牛房家の血筋を受け継いでいるのか、貧乏性なのかなかなかの出来上がり。この伝統も兄が元気なうちは続くが、甥の代になると多分途絶えることになるだろう。それにしてもお飾りをつけない車が圧倒的に多いことに驚く。 元日、私が作ったお飾りをつけた車で兄夫婦が出掛けた。15分後電話が入る「クラッチ板がすべって動かなくなった、迎えにきてくれ」。よりによって元日に故障することはないだろう。お飾りを作った奴が悪かったのか。 |
||
初詣 我が集落(40世帯100人)の初詣は、かつては中学校、現在は小学校の裏山にある神社。この山は中学時代の野球部の罰則、ミスをすると先輩から「山!」と声を掛けられて登った急傾斜で曲がりくねった上まで800メートル程の長さ。その頃は山とはいえ刈り込んであったため全行程がグランドから丸見えで手抜きが出来ない、地獄の山上りと言われた思い出の山。年明け早々ここに初詣。「棚からぼたもち、ロト1等etc」。 |
||
同窓会 2日、今はなき母校、吉岡中学校昭和38年度卒業生の同窓会が津山城祉のふところに建つホテルで行われる。今年55才を迎えるオヤジとオバサン。出席者50人、恩師2氏。3時間の宴。私はCD「生存証明」の即売会、サイン会に忙しく食事も歓談もそこそこ、旧交を温める時間はほとんどなし。次回は、還暦を迎える年の予定。はたしてそれまで生きていられるのか(現在12人が他界)。 |
||
ゴルフ 3日、天気予報では1週間前から3日だけ傘マーク。年末から連日、陽が射しているのに雪が舞うという妙な天気が続いている。降水確率午前40%、午後60%。当日朝7時、うっすらと雪化粧、コースに電話を入れると「全然降っていません」との答え。8時19分スタート、幸い曇り空。3ホール終わったところで雨が落ちて来る。昼食抜きで雨中のラウウンドは午後1時終了、指先の感覚はほとんどなし。思い起こせば昨年は2日、3ホールほど雪の中でプレー、グリーンでは打った後雪だるま状態だった。正月の甥達とのゴルフは一考の必要がある。 4日、高校時代の友人とのゴルフは雪で中止。 5日、同上。 帰省していつも思うのは、完全に寅さん状態、朝起きると食事、アッと言う間に昼食、夕食、3食プラス夜食付き、甘いものたっぷり。寅さんと違うのは、「腹が減ったよ、おばちゃん何か食わしてくれよ」とは絶対言わないこと。反対に、「もう食事」状態。帰京してご挨拶に行った先で開口一番「太った」と言われる。その通り、4キロ太った。 そんなこんな年末年始でした。本年も暖かい、長―い目で見て下さい、よろしくお願い致します。 |
(C)saitamanzoh 2000-2003