diary
恒例・干し柿作り 2000.11.19 | |
11月15日〜17日。晩秋恒例、茨城3日間の旅。この旅は1通のDMから始まった。 1994年、新曲“はくつる号は故郷へ”発売にあたり、所属事務所ではカラオケ雑誌に紹介されたカラオケサークル代表者に「こんな曲を出しました」とDMを出しまくったらしい。その中の、茨城県日立市のサークル代表、斉藤ふみ子さんさんからお便りを頂いた。「ジャケットのお顔と歌声で、真面目で正直な方だと想像します。一所懸命応援しますので頑張ってください」。こんな内容だったと記憶している。数多く出したDMだが、こんな熱い応援を頂いたのはお一人のみ。以後熱心に活動して下さったが、私の力不足でヒットに繋げられなかった事が心残りでならない。 2年間は手紙だけのやりとりが続く。初めてお会いしたのは、お嬢様の結婚披露宴の司会を依頼され自宅にお邪魔したおりだ(那珂郡大宮町に移転されていた)。この時発見したのが、たわわに実った柿の木。聞けば、お隣の安藤さんのお宅の渋柿だとか、それならそれで楽しみ方はある。子供の頃、母の手伝いで干し柿用の皮むきを毎年毎年何百個もやった。あの頃は苦痛だったが今はどうだろう。お願いしたら「好きなだけどうぞ」。その年は仕事の流れ上頂いて帰る事は出来なかったが、次の年から恒例となった。100個の渋柿は、甘くおいしい《まんぞうブランド》の干し柿としてX’masの頃には食べ頃になる。 2泊3日の2日目はご主人のお友達とのゴルフも楽しみのひとつだが、今年は腰の痛みが引かず申し訳ないがお断りした。 斉藤さんとはまだ短い付き合いだが、その歓待ぶりは岡山の実家も遠く及ばない、それこそ‘殿様’気分。私にとって間違いなく日本一のファンだ。一番のお返しはテレビに出ることだろうが、今一本の予定もない。すみません斉藤さん。何卒今後とも宜しくお願いいたします。大変お世話になりました。 |
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待ってるぞ40日後 | |
柿の木の前で、斉藤さん、安藤さん |
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